退職後の競業避止義務を定めた合意の有効性 東京地判R4.5.13

退職後の競業避止義務を定めた合意が公序良俗違反で無効と判断された例として、東京地判令和4年5月13日労判1278号20頁をご紹介します。

事案の概要

X社は、主にシステムエンジニアを企業に派遣・紹介する株式会社である。

Yは、X社と労働契約を締結し、A社を就業場所としてシステムエンジニアとして職務従事していたが、令和2年9月末日をもってX社を退職した。

Yは、X社退職後である同年10月9日、本件合意書に署名押印した。本件合意書には、次のような記載があった。

第4条(競業避止義務の確認) 私は、前各条項(注:秘密保持条項)を遵守するため、退職後1年間にわたり次の行為を行わないことを約束いたします。

⑴貴社との取引に関係ある事業者に就職すること

⑵貴社のお客先に関係ある事業者に就職すること

⑶貴社と取引及び競合関係にある事業者に就職すること

⑷貴社と取引及び競合関係にある事業を自ら開業または設立すること

Yは、X社退職後である令和2年10月1日以降、B社と業務委託契約を締結し、A社に通い、X社と取引関係のある事業者において勤務した。

X社は、Yに対し、上記競業避止義務違反を理由として損害賠償請求を行った。

本稿で扱う争点

競業避止義務に関する合意が公序良俗に反し無効か否か

裁判所の判断の概要

まず、一般論として次のように判断枠組みを定立した。

従業員の退職後の競業避止義務を定める特約は、・・・これによって守られるべき使用者の利益、これによって生じる従業員の不利益の内容及び程度並びに代償措置の有無及びその内容等を総合考慮し、その制限が必要かつ合理的な範囲を超える場合には、公序良俗に反して無効である・・・。

そして、上記考慮要素についてそれぞれ次のとおり評価した(以下太字は引用者)。

①使用者の利益
原告は、主にシステムエンジニアを企業に派遣・紹介する株式会社であって、・・・その具体的な作業については各派遣先・・・の指示に従うものとされていた・・・。このような原告におけるシステムエンジニアの従事する業務内容に照らせば、原告がシステム開発、システム運営その他に関する独自のノウハウを有するものとはいえないし、被告がそのようなノウハウの提供を受けたと認めるに足りる証拠もないのであって、原告において・・・退職後の競業避止義務を定める目的・利益は明らかとはいえない
②従業員の不利益の内容及び程度

(引用者注:本件合意書の規定文言について)いずれも文言上、転職先の業種・職種の限定はないし、地域・範囲の定めもなく、・・・原告の取引先のみならず、原告の客先の取引先と関係がある事業者までも含まれており、禁止する転職先等の範囲も極めて広範にわたるものといわざるを得ない。・・・被告の職務経歴に照らすと、上記の範囲をもって転職等を禁止することは、被告の再就職を著しく妨げるものというべきである。

③代償措置の有無及びその内容

・・・手当、退職金その他退職後の競業禁止に対する代償措置は講じられておらず、本件合意書においても、・・・その代償措置については何らの規定もない・・・。

そして、結論として以下のように述べ、本件合意書に基づく合意を無効と判断した。

以上のように、原告の本件合意書により達しようとする目的は明らかではないことに比して、被告が禁じられる転職等の範囲は広範であり、その代償措置も講じられていないことからすると、競業避止義務の期間が1年間にとどまることを考慮しても、本件合意書に基づく合意は、その制限が必要かつ合理的な範囲を超える場合に当たるものとして公序良俗に反し、無効であるといわざるを得ない。

若干のコメント

退職後の競業避止義務の定めは、当該退職者の職業選択の自由を制約することになる以上、公序良俗に反するものとして無効となるか否かが問題となります。その判断基準は概ね、本判決でも述べられているように、企業側の正当な利益、従業員の地位、禁止される業務の内容及びその場所的・時間的範囲、代償措置といった点が考慮要素となります*1

本件合意書における競業避止義務は、時間的範囲としては1年間と比較的制限されており、裁判所もそのような評価を前提としていますが、その点のみをもって有効と判断されるわけではありません。特に本件では、同義務により守るべき独自性を有する技術上、営業上の情報が特段想定されず、原告側の正当な利益を認めがたいこと(この点に関する原告側の主張は判決文中も明らかとなっていません)、それにもかかわらず禁止対象となり得る転職先等の範囲が広すぎるため、職業選択の自由への制約が重きに失すると判断されたものと整理可能でしょう。

退職後の競業避止義務を定めるに当たっては、同義務により守るべき企業側の利益を具体的に整理、抽出することが求められるものとして、参考となる一事例と思われます。

*1:五十嵐ほか編『Q&A営業秘密を巡る実務論点』136頁以下。